チャールズ・ハワード (初代カーライル伯爵)
初代カーライル伯 チャールズ・ハワード Charles Howard 1st Earl of Carlisle | |
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カーライル伯ハワード家 | |
初代カーライル伯(ウィリアム・フェイソーン画) | |
続柄 | 第4代ノーフォーク公トマス・ハワードの三男ウィリアム・ハワード卿の曾孫 |
称号 | 初代カーライル伯、初代ハワード子爵、初代デイカー男爵 |
出生 |
1629年 |
死去 |
1685年2月24日 |
配偶者 | アン・ハワード |
子女 | 下記参照 |
父親 | サー・ウィリアム・ハワード |
母親 | メアリー・ユアー |
初代カーライル伯爵チャールズ・ハワード(英語: Charles Howard, 1st Earl of Carlisle、1629年 - 1685年2月24日)は、イングランドの軍人、政治家、貴族。
ノーフォーク公爵ハワード家の分流。清教徒革命の際に議会軍の指揮官の一人だった。オリバー・クロムウェルに忠実だったが、クロムウェルの死後は王党派に転じ、王政復古後の1661年にカーライル伯爵位を与えられた。
経歴
[編集]1629年に生まれる。父は第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワードの三男ウィリアム・ハワードの孫にあたるサー・ウィリアム・ハワード。母はその妻メアリー(第4代ユアー男爵ウィリアム・ユアーの娘)[1][2]。
プロテスタントに改宗し、清教徒革命(イングランド内戦)が発生すると議会派の軍指揮官としてウスターの戦いで戦功をあげた[3]。
1653年のベアボーンズ議会の際にウェストモアランド選挙区から選出されて庶民院議員となる。同年、国務会議の委員に就任[4]。翌1654年にはイングランド軍を率いてスコットランド軍と戦った[3]。
1654年の第一議会と1656年の第二議会、1660年の仮議会でもカンバーランド選挙区から選出されて庶民院議員を務める[4][2]。また1657年からは「ハワード子爵・卿(Lord Viscount Howard)」として第二院の議員になっている[1][2]。
護国卿オリバー・クロムウェルに側近として重用され、その親衛隊長や軍政監を務めた[3]。しかしクロムウェルの死後には他の軍高官と対立を深め王政復古派に転じ、1659年中の一時期投獄された[3]。
そのため1660年に王政復古があった後も国王チャールズ2世から重用された[3]。1660年から1679年まで枢密顧問官を務め[2]、1660年から1685年にかけてはカンバーランド知事とウェストモアランド知事、またカンバーランド首席治安判事を務めた。1672年から1685年にかけてはダラム知事も兼務した[1][2]。
1663年から1664年にかけてはロシアやデンマーク、スウェーデンへの特派大使を務め、1677年9月から1681年4月にかけてはジャマイカ総督(Governor of Jamaica)を務めた[4]。
1685年2月24日に死去した[4]。爵位は長男エドワード・ハワードが継承した[2]。
栄典
[編集]爵位
[編集]1661年4月30日の勅許状で以下の爵位を新規に与えられた[2][1]。
- 初代カーライル伯爵 (1st Earl of Carlisle)
- (イングランド貴族爵位)
- ノーサンバーランド州におけるモーペスの初代ハワード子爵 (1st Howard of Morpeth, of Morpeth in the County of Northumberland)
- (イングランド貴族爵位)
- カンバーランド州におけるギルスランドの初代デイカー男爵 (1st Baron Dacre of Gillesland, of Gillesland in the County of Cumberland)
- (イングランド貴族爵位)
家族
[編集]同じハワード一門の初代エスクリックの初代ハワード男爵エドワード・ハワードの娘アンと結婚。彼女との間に以下の2男3女を儲ける[2][1]。
- 長男エドワード・ハワード (1646-1692) : 第2代カーライル伯爵位を継承
- 次男フレデリック・クリスティアン・ハワード (1664-1684) : ルクセンブルク包囲戦で戦死
- 長女メアリー・ハワード (?-1708) : 第3代準男爵ジョン・フェンウィックと結婚
- 次女キャサリン・ハワード (?-1684) :
- 三女アン・ハワード (1650-1707) : 初代プレストン子爵リチャード・グラハムと結婚
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e Lundy, Darryl. “Charles Howard, 1st Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2015年12月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Carlisle, Earl of (E, 1661)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月3日閲覧。
- ^ a b c d e 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 338.
- ^ a b c d Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
参考文献
[編集]- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。
イングランド議会 (en) | ||
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先代 新設 |
北部4カントリー選挙区 選出庶民院議員 1653年 同一選挙区同時当選者 ロバート・フェンウィック (Robert Fenwick) ヘンリー・ドーソン ヘンリー・オーグル |
次代 廃止 |
先代 新設 |
カンバーランド選挙区 選出庶民院議員 1654年 - 1656年 同一選挙区同時当選者 ウィリアム・ブリスコー |
次代 ウィリアム・ブリスコー サー・ウィルフリッド・ローソン |
先代 ウィリアム・ブリスコー サー・ウィルフリッド・ローソン |
カンバーランド選挙区 選出庶民院議員 1660年 - 1661年 同一選挙区同時当選者 サー・ウィルフリッド・ローソン |
次代 サー・パトリキウス・カーウェン準男爵 サー・ジョージ・フレッチャー準男爵 |
名誉職 | ||
空位時代 | カンバーランド知事 及びウェストモアランド知事 1660年 - 1685年 |
次代 第6代サネット伯爵 |
カンバーランド首席治安判事 1660年 - 1685年 | ||
カンバーランド副提督 及びウェストモアランド副提督 1661年 - 1685年 |
次代 サー・ジョン・ロウザー準男爵 | |
ダラム副総督 及びノーサンバーランド副総督 1661年 - 1685年 |
空位 次代の在位者 第3代マルグレイヴ伯爵
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官職 | ||
先代 ヘンリー・モーガン (代理) |
ジャマイカ総督 1678年 - 1680年 |
次代 ヘンリー・モーガン (代理) |
イングランドの爵位 | ||
新設 | 初代カーライル伯爵 1661年 - 1685年 |
次代 エドワード・ハワード |